やりとりが複雑になってきましたね。
引用を使ってわかりやすくなるかどうか・・・
ま、実験です。わかりやすくならなかったら、ほかの方法を考えましょう。
でんぱ組 さんが書きました:>私は、多読という方法は性に合わないのかもしれないと思い始めています。
なぜわからないところを飛ばさなければならないのか。
それは速読するためですか?
それとも、理解できない人へのやさしさなのでしょうか?
「やさしさ」ではありません。
わからないところを飛ばすことが「自然な読み方」だと思うからですね。
わからないところを無理やり、なんとしてでもわかろうとするのは、
日本語の読書ではやらないことではありませんか?
もちろん日本語の読書でもわからないところで立ち止まって考えたり
辞書を引いたりする癖のある人はいると思いますが、それは「学習途中」で
やるべきことではないと思っています。
私は、わからないところを飛ばしたくないんですね。
むしろ、わからないところを「わかるように」したいんです。
ORTなど読んでいても、わからないところが度々出てきます。
その際、首をかしげて考えます。これはどういう意味だろうと。
そして知らない単語があれば調べます。文法書を読んだりもします。(Grammar in Useを使ったりもします。)
わからないところだけワンポイントで教えてくれるところ(教室など)があればいいのにとさえ思います。
こんな風に考えてはどうでしょう?
*わからないところが今すぐわからなければいけないだろうか?
*辞書を引いたり、GIUを使ったりして、「今すぐわかる」と、
その理解は長続きしないと思います。
反対に「わからないまま放っておく」と同じ語、同じ文法用法に
何度かぶつかったあとで、いつかポンとわかって、
その理解はずーっと消えないと思われます。
*言ってみればペンキを塗るのにどっぷりペンキをつけて1回で塗るとはげやすくて、
薄く何度も塗れば塗るほど、よい色が出て長持ちするようなものでしょうか。
*ワンポイントで教えてくれる学習本や講座はあらゆるところに溢れています。
でんぱ組さんがもしそういう学習本や講座を経験しているとしたら、
そういうワンポイント教授の「はかなさ」をご存じかもしれません。
それから、「NHKの講師の先生の本を読んだときに、私は英語の能力はないかもしれない」と
思わされたということですが、何がきっかけだったのでしょうね?
>『英語は「やさしく、たくさん」中学レベルから始める「英語脳」の育て方』という本にあった言葉を書きます。
・「訳したくなる衝動と戦い、直読直解して下さい。いわゆる「英語で考える」状態で、このやり方でないと、
~~~訳したつもりはなくても、心の中で無意識に訳してしまっていることもありますのでご注意。
・英語ができる人とできない人は、英語に接する姿勢が違う、~~~英語を英語のままとらえようとする姿勢です。上達したい人は、英語を英語のまま受け入れ、英語に体当たりする決意をすること
・和訳に頼らない
・伸びにくい人は、英文を日本語に転換してから理解する。訳読は、英語ではなく日本語の学習
・訳したい衝動をできるだけ我慢して
・英語直解式は、習い始めが苦しい
・「英語は直読直解式で理解している」と言う人たちにおいても、実は無意識に訳していたりする
これらの文を読んでいると私は、無意識に訳してはいないだろうか、訳してはいけない、訳してはいけない…と強迫観念的になり苦しくなってくるのです。
これは強烈ですね。こんな決意をして、その通りに実行できた人はいるのだろうか?
少なくともこういう「決意」で外国語に「立ち向かう」やり方には、
合わない人がたっくさんいるだろうと想像できます。
多読は「訳してはいけない」なんて考える必要がない絵本から始めます。
そもそも最初は文字を隠して絵だけで楽しむので、「訳す、訳さない」は
そもそも問題になりません。最初は文字も少ないので、
知らない語が使われていても絵でわかります。訳す必要がありません。
そこからほんの少しずつ文字が多い絵本に移りますが、
訳す必要が出てこないように、自分を騙しながら、ごくごく少しずつ
文字を多くしていきます。
もう一つよい手があります。それは「聞き読み」です。
テキストを見ながら朗読をいっしょに聞きます。
朗読の速度で眼を文字を追います。後戻り、一時停止はなしにします。
それでも楽しめるものを聞き読みしましょう。楽しめなかったらどんどん
次の作品に移ります。一つの作品にしがみつくことのないように・・・!
もう一つよい手があります。それは幼児用アニメや何度も観た海外ドラマですが、
長くなるので、ご希望があればくわしく書きますね。
ただし、著者は次のようにも言っており
「訳語ではなく、意味(概念)で考える」
この考えには賛同します。
むずかしいところですね。一見まっとうな考えのように聞こえますが、
この考えに賛同すると、「禅の公案」に陥りそうです。
「意味で考える」ときに、「訳語」は浮かんではいけないのでしょうね?
そうすると見事な堂々巡りになりかねませんね。
でんぱ組さんは「多読は会わないかもしれない」と書いていますが、
もっとそう思われる危険を冒してぼく流の考えを書くと・・・
「考えるな、感じろ!」ということになります。
でも、これも公案になりかねないので、無視してくださっても結構です。
最近買ったニューズウィーク誌の記事にも「だいたい100万語で効果が実感できるという」と書いてあったので、だいたいそのくらいを目安にするべきなんだな、という風に思えました。ただやはり語数を稼ぐことに躍起になるのは本末転倒だと思います。
「たくさん読む」「たくさん触れる」ことが本来の目的ですよね。
100万語を目安にするのも、問題かもしれません。
語数の伸びだけが「力」を示すと考えると、「楽しく吸収」という面が
忘れられてしまうようです。
>ブログを検索してみましたが、該当のブログは見つかりませんでした(;^_^A
TOEICで大幅に点数が伸びた人でも、その点数ほどには実力はついていないように見えたのですか?
失礼しました。
「旧町の名前をひとつ」のブログは検索ができなくなっているようです。
一つだけ見つけた記事はここです→
https://tadoku.org/blog/sakai-note/2016/07/25/2416絵本を中心に読んでいるとTOEICの点数も上がる、と言いたかったのでした。
100万語を目安にするのも、問題かもしれません。
語数の伸びだけが「力」を示すと考えると、「楽しく吸収」という面が
忘れられてしまうようです。
be動詞の「です、ます」…の人は、英語の前に、国語(日本語)のbe動詞と一般動詞の概念が理解できていないのでは?
中学生の参考書かなんかに「be動詞=です、ます、いる~~」とかと解説されていたのを思い出しましたが、私はそういう解説は嫌いというか、そうじゃなくて…と思ってしまいます。
まったくその通りです!
一つは、Cambridge English Readers の Help! をどのくらいの時間で読み終わりますか?
>時間を計ったことがありませんでした。
さっき計ってみたんですけど20ページまでで45分くらい。
でも時間を計ると、どうしても早く早くと強迫されるようになってしまいます。
多読法というのはでも、早く読むためのメソッドだったのでしょうか。
速読のためのメソッド。
ごめんなさい! 脅迫するつもりはありませんでした。
時間を計ってもらうのは「遠隔支援」のときだけです。
言ってみれば電話越しに体の調子を推察する材料として、
体温を聞くようなものと考えてください。
で、体温に喩えれば少々高めだと思います。
もっとゆったりと、わからないところは放っておくつもりで読むと
平熱に近くなって(普通の読書に近くなって)楽しめるかもしれません。
もう一つは、絵本はどのくらい読んでいますか?
>絵本というかORTのようなものがほとんどです。あれは絵本なんでしょうか?
絵は全頁にありますが、教科書ですよね。
ブッククラブからおまかせで送ってもらっていたのですが、今日いったんそれをやめました。
ORTは、イギリスの教科書で素晴らしいもの、憧れのものというイメージがありました(ネットでの口コミなどから)。
ORTはかなり読んできたと思いますが、意外と難しいし、YLがもっと高いもの(ORTではない本で)のほうがORTより簡単だと感じる場合もありますし話もそんなに面白いと思いません。本を返さなくてはならないので我慢して読んでいました。
ORTは教科書というのは、とても鋭いと思います。
でも、教科書だけれども楽しむ手があるのですが、ご存じでしょうか?
たとえばどのORTの絵本についても、文字を隠して絵だけで物語を推測してみてください。
実は絵の中にいっぱいおもしろいことが隠れています。
もしすでに隠れている物を発見していたら、教えてください。
もしよければこれまでの読書記録をぼくに送ってくれませんか?
>どうやって送ればいいのでしょうか?
NPO多言語多読のメール・アドレスに送ってください。事務局に届きますが、
ぼくにも届きます。
tadokuorg@gmail.com
です! 楽しみにしています!!