多読の方法は、新しい道を覚えるのに似ている

みなさんこんにちは。
最近、読書を再開しました。(「多読」というほどは読んでいないので)
読みながら思ったのですが、「多読は新しい道を覚えるのに似て」いませんか?
どういうことかと言うと・・
知らない道も、何度か歩くと覚える。しかし店1軒1軒全部知っている訳ではない。
曲がり角など、主な場所だけ目印として分かっていれば、目的地にはたどり着ける。
信号機、コンビニ、ガソリンスタンドなど。
そして何度かその道を通っていれば、そのほかの店なども分かるようになる。
例えば小学校に上がった子どもが、家から学校まで一人で登下校できるようになったとする。
道を覚えたからといって、その街全部を知ったことになるかというとそうではない。
でも登下校はできる。
何カ月か経つと、薬局やらコンビニやら、花屋やら、道沿いの建物が分かるようになる。
また何カ月か経つと、ちょっと路地を入った友達の家も覚える。
そうして、何度もその周辺をうろうろすることで、だんだん街の全体像が見えてくるようになる。
本の中身が全部完璧に理解できてなくても「読み通す」ことはできるし、「楽しむ」ことはできる。
そして、それを続ければ、理解できるようになるんだと思います。
多読はそんな感じかなあと思う今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
それだけ言いたくて、出てまいりました。
それではまた!
最近、読書を再開しました。(「多読」というほどは読んでいないので)
読みながら思ったのですが、「多読は新しい道を覚えるのに似て」いませんか?
どういうことかと言うと・・
知らない道も、何度か歩くと覚える。しかし店1軒1軒全部知っている訳ではない。
曲がり角など、主な場所だけ目印として分かっていれば、目的地にはたどり着ける。
信号機、コンビニ、ガソリンスタンドなど。
そして何度かその道を通っていれば、そのほかの店なども分かるようになる。
例えば小学校に上がった子どもが、家から学校まで一人で登下校できるようになったとする。
道を覚えたからといって、その街全部を知ったことになるかというとそうではない。
でも登下校はできる。
何カ月か経つと、薬局やらコンビニやら、花屋やら、道沿いの建物が分かるようになる。
また何カ月か経つと、ちょっと路地を入った友達の家も覚える。
そうして、何度もその周辺をうろうろすることで、だんだん街の全体像が見えてくるようになる。
本の中身が全部完璧に理解できてなくても「読み通す」ことはできるし、「楽しむ」ことはできる。
そして、それを続ければ、理解できるようになるんだと思います。
多読はそんな感じかなあと思う今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか?
それだけ言いたくて、出てまいりました。
それではまた!