by イワノフ » 2015年4月26日(日) 18:45
4月25日及び26日の多読です。
The City of Ink Drinkers (A Dell Yearling Book)
何だか、インクで胃がむかむかする感じがして読み進めることができず―実際にインクを「飲んだ」ことはないけれど…、舐めたことはありますよね(笑)、びんに入ったインクをつけながら使ったペンや万年筆を知っている世代ならば―読み終えるのに4−5日かかりました。おかしな塩梅にストーリーが展開していきます。変なの!
The Famous Five (Hodder Children’s Books) 少々長文です
力強い文体。ぐいぐいと読み手を引き込むストーリー展開のすばらしさ。The Famous Fiveは優れた文学作品であり、英国では、初版の出た20世紀半ば以降、今なお、親から子へ祖父母から孫へと読み継がれています。しかし同時に、今日的視点をもってすると、内容に問題があることもまた指摘されています。エリート主義、男女差別・男尊女卑、人種差別にまみれているという見方もできるのです。今日の日本に、「源氏物語」の状況設定や登場人物の価値観・行動を社会的に問題であるとまじめに目くじらを立てる人はあまりいないように、The Famous Fiveもあと300年、500年たったら、英国の誇る児童文学の傑作ということでよくなるのだと思いますが。
ついでに、主人公のジョージことジョージーナは、「心は男、体は女」の性同一性障碍なのではないかとの指摘もされています。(ちなみに、作者のEnid Brytonは、この主人公は自分自身をモデルにしたのだと明言しているそうです。)この件については、次のような考え方に落ち着いているようです。作者が生きていた時代に性同一性障碍という概念はなく、従って作者自身もそのようなつもりはなかったはずで、それを後世の人間が後世の感覚であれだこれだと規定するのは筋違いである。しかし今日このシリーズを読んで、自身のロールモデルを見いだし、勇気をもらった性同一性障碍者がたくさんいることも事実である。
特に学校等における多読指導者の立場で、どんな本を?と考えるときに、内容がわからないのは不安だ、困ると思う方もいらっしゃるでしょう。学校で教材としてそろえるにあたっては、1970年代後半以降—1990年代以降であればなお確実かと思います―に書かれたもので、定評のあるもの―賞を受賞している、欧米の学校図書館司書の方やそうした方のグループ・団体等が推薦している、長年多読を授業に取り入れている他校が使い続けている―といったところが、今日の「グローバル化した世界」の基準に概ね合致した状況設定および登場人物像をもった、安全圏でしょうか。
たとえば、Little Bear—初版は1950年代の終わりです。Little Bear君の両親は男女の役割分担が徹底しており、着ているものから言う台詞から、そういう視点でみれば、男女の役割に関する差別的固定観念は凄まじいばかりです。
しかし1981年に出たNo More Monsters for Me(4/24付け多読参照)になると、シングルマザーとその娘という状況設定もより今日的ですし、けっこうイライラしているこのシングルマザーの性格や彼女の言う台詞は、Little BearやThe Famous Fiveに出てくる母親キャラの大人の女性たち―ちなみにこうしたお話に登場する大人の女性は、皆誰かの妻であり母親です―とは、かなり異なります。娘はスカートばかりではなくズボンをはいたシーンもあり、その性格や行動は1960年代頃までの「女の子」の枠にはまりきったものではありません。
2000年代に入ってから刊行されているYou Wouldn’t Want toの歴史ものシリーズでは、たとえばYou wouldn’t want to sail with Christopher Columbus!には、コロンブスはアメリカを「発見した」というような発想はかけらもありません。この男は相当ひどいやつだったというのが現在の見方ですが、そういうことも明記してあります。思えば1970年代、私はアメリカで公立高校に通っていましたが、Columbus Dayに際して、当時の教材にはまだColumbus discovered America.的記述もあったのですが、先生がThat is not true. America didn’t need to be ‘discovered’ by Columbus, or anyone for that matter. It was always there.といった但し書きの説明があったものでした。
個人で多読を進めるうちにも、本にはその時代その社会独特の考え方に支配されている側面もあり、一面、読み手の「今、ここ」にふさわしくない偏見や誤ったあるいは不適切な行動規範を知らずのうちに育てる働きをもつということもあるという、ときには違った視点から読んでみることも、あってもよいかもしれません。もっとも、本を読む楽しさとは、そういうこととは次元の違ったことですけれど。
イワノフ伊藤
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