きのこさん、なんと奔放な楽しみ方をなさっている!
いいですね、こどもと絵本があった・・・
たぶんYLも語数も気にならなかった方?
(おっと、YLや語数を気にするのは当然です。
いや、気にすることを期待してああいう方便を考えたのですから。
実はYLはぼくが考えたのではないのだけれど、
その点は近いうちにブログで書きます。)
肚裡 さんが書きました:こんばんは、もう読み直す元気もないので、伝わらないような文章でもそのまま送ります。すいません。
先日、第一回の「たどくらぶ」に参加しました。その後の食事の時のお話を含め「Tadoku」の形を見せてもらった気がします。
そしてその形こそが「みんな違ってみんないい(でしたっけ?)」ということなのかもしれませんが、この言い方だと、みんなのやることが違って良いのか、みんなの目指すところが違ってよいのか、その他受け取る人の解釈でどのようにもなると思うので、多読が海外でも行われるようになった今では、ぜひTadokuのほうで使われる言葉は英語にすんなり変えられることばのほうが良いかなって思います。
酒井さんのブログなどでも、カタカナ英語がどうのこうのとか色々なお話が飛び交いますが。ぼくたちの多くはまだ英語をよく聞き、話せるわけではないのだから、英語に関して酒井さんより「群盲象をナデルオ・ナデルコ」だったりして。。。そんなナデルさんたちと酒井さんは共通の象(英語)の浮かべることなく「Tadoku三原則」をどうこの先説明してくれるのか。
① 仲間と一緒に
② ことばの氷山を
③ Bitesize から作る
でしたっけ。
まず多読というものがあった、そこから読むだけではないTADOKUというものを考えた。
また、「多読」はたくさん読む、基本はインプット。
たくさん読んでいるうちに「樽からあふれる」人が出て来た。
しかし、うまく話す方向・アウトプットにいかない人も少なくない。
そう考えると:
「2. ことばの氷山を」は、
「多読」のバージョンアップ版ではないか?。
ただし、たくさん読むだけでは樽からことばがうまくあふれず、「ことばの氷山」が作られていないとうまくアウトプットはできない。
だから多読するときに単純インプットではなく、アウトプットの準備のためのインプットが必要。
それには、「音」が必要。「絵・動画」(すなわち「多読時代のTADOKU」の要素)も必要?
よって「多読三原則」がまったく関係ないわけではない。
「3.Bitesize から作る」は、
新しい要素。「2.3」でOSの変更とでもいうか。
そしてインプットされたもの(たまった樽)を整理してからアウトプット。
「たまった樽」とは「ことばの氷山でもある」?。
少ないことば(一語?)から、話す・書く・考える(ここがことばの氷山の頂上)。
「1.仲間と一緒に」は、
「2.3」の実践者。
多読の初期の頃の実践者は情報が少なかったので、傾向として情報はもらったりあげたりの関係(掲示板への書き込み・これが多読仲間?)だった。実践者は人なのだから「2.3」のように定義されるものというより、時代・環境・実践者の変化などによって流動する。
始めに仲間ではなく「2.3」の実践者が仲間になるのでは。
「新★TADOKU三原則」や「Tadoku三原則」など「新」がついたり、そうでなかったりしてますが。
「多読三原則」から「TadokuまたはTADOKU三原則」への移行ということだと思うけど従来の「三原則」がまったく無視されたものではないのかなと、勝手に解釈していますが。どうなんでしょう。
「たどくらぶ」へ参加して、一応ぼくも卒業はしてるかな、と思いました。
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