わからないところを飛ばすことが「自然な読み方」だと思うからですね。
わからないところを無理やり、なんとしてでもわかろうとするのは、
日本語の読書ではやらないことではありませんか?
>私は、それが「自然な読み方」という風には思わないんですね。
日本語の本は、仮に著者の趣旨や言いたいことの中味が難しくて理解できないことがあるにせよ、日本語の語彙がわからないとか、日本語の文章の意味がわからないということはありません。
私は今回の件で、いろいろと英語学習法についても専門家間でもいろいろな考えがあり、それを知るにつけ、今の私は、母国語の習得のしかたと、外国語の習得のしかたは同じ道程を取るものではないと思うようになりました。
たいして英語を読めていないのに、生意気なことを言ってすみません。
辞書を引いたりする癖のある人はいると思いますが、それは「学習途中」で
やるべきことではないと思っています。
>私は学習中こそ、辞書を引くべきだと思います。
最初は文字も少ないので、
知らない語が使われていても絵でわかります。訳す必要がありません。
>私は、「訳せ」と言っているのではないんですが、日本語が頭に浮かぶことすら許されない、というのは違うと思います。
だから、英語の文章を読んで、そこに和訳文を書く必要があるとはさらさら思っていません。
「訳」と「訳語」の違い、と言いますか。
ただ、まだ英語の語彙の意味を体得していないうちは、日本語が思い浮かんでもいいし、その意味を日本語で考えていいと思います。そのうち日本語が思い浮かばないくらい体得してしまうのを待てばいいと思います。
絵はその語彙の意味を知るヒントであって、意味を規定するものではないと思います。
なので絵があれば正確にその意味を理解できるかというとそうではないと思います。勘違いもあり得ます。
ただ絵は読解のための強い助っ人になるとは思います。
しかしまた絵は、あいまいでつかみどころがない部分があります。
私は、語彙の意味は、日本人の場合、日本語で規定された意味、概念を「言葉(日本語)」によってはっきり知るべきだと思います。
私の性格の問題なのでしょうか。私の場合、意味をはっきりと確認したい、という衝動があり、それを我慢してあいまいにして進むほうがむしろ嫌なんですね。
ある種の完璧主義かもしれません…。
きっと、そうじゃない人もいるんでしょうね。
その方は辞書を引かない、わからないところがあっても飛ばす、というやり方が合っているのではないでしょうか?
たとえばどのORTの絵本についても、文字を隠して絵だけで物語を推測してみてください。
実は絵の中にいっぱいおもしろいことが隠れています。
>折角提案していただいて申し訳ないのですが、何をおもしろいと思うかは個人の感覚によるもので、好き嫌い、嗜好の問題かと思います。
こう読めばおもしろい、というものではないと思います。
絵の中に何か発見した記憶はあります。
Lost cityでしたかで、植物園の店主と奥さんが、探検家の夫婦とだった、ということを発見したことはありました。(Mumにplantsをプレゼントした回の話です。)
ああいうのはちょっと楽しいですね。
ORTも最初の頃はおもしろく感じていたのですが、全体にはおもしろい内容とは思わなくなりました。ORTよりも、私の場合、Foundations Reading Libraryなどは、知らない単語もほとんどなく簡単で、ストーリー展開も予想外でおもしろく感じました。また、ナショナルジオグラフィックのものなんかも写真ですが好きです。
サウスパークというアメリカのアニメをご存知ですか?
ああいった、文部省が許さないような作品をおもしろいと思ったりするタイプです…(;^_^A
(ただ、とても本国のアニメをそのまま理解できるような状態にないので、あれをそのまま見られるようになりたいものですが(;^_^A))
で、体温に喩えれば少々高めだと思います。
もっとゆったりと、わからないところは放っておくつもりで読むと
平熱に近くなって(普通の読書に近くなって)楽しめるかもしれません。
>体温ですか?ちょっとその例えはよくわからないんですが、つまり遅いってことですね?
読解は中学の頃から苦手でした。文法と音読(発音)は好きだったんですが…。
ですが、これは処理速度の問題なので、気の持ちようで早く読めるようになるってもんでもないと思います…。
私もテキトーに読むことはあるにはあるんですが、それはAmazonのレビューなど、一般の人の口コミなんかで、そういうのはめんどうなので辞書はあまり引きません。適当に目で追うような感じで、意味もなんとなくわかる程度ですが、例えば10行の文章なら、最初の2、3行にパパっと目を通して、それ以降はめんどくさそうだからやめる、といった読み方で、表面をなぞるような感じです。数件のレビューを読むにしても、こっちのパンを一口かじり、あっちのパンを一口かじりっていう感じで、何も残らない感じです。
もう一つよい手があります。それは「聞き読み」です。
テキストを見ながら朗読をいっしょに聞きます。
朗読の速度で眼を文字を追います。後戻り、一時停止はなしにします。
それでも楽しめるものを聞き読みしましょう。楽しめなかったらどんどん
次の作品に移ります。一つの作品にしがみつくことのないように・・・!
>「聞き読み」というか、私はある時期から、本を見ないで、付属のCDを最初に聞くようにしました。
そうすると、少しわかるところと、早くてわからない、なんと発音しているかわからない、ということがありました。そのあとに本を読むと、ああこういうことか、とわかったりする部分は多いし、本を読むのも、最初から本を読んでしまうよりも読みやすくなることがありました。
そのあとにさらに聞きながら絵を見たり、本当にわからないときは文字を見たりなど、色々してみます。
こんな風に考えてはどうでしょう?
*わからないところが今すぐわからなければいけないだろうか?
>いけないかどうか、というより「わかりたい」ですね。
*辞書を引いたり、GIUを使ったりして、「今すぐわかる」と、
その理解は長続きしないと思います。
>そんなことはないですよ。
一度わかってしまえばわかります。それを使いこなせるかどうかは別として。
辞書で調べた意味は忘れても構わないと思います。
単語カードを使って頭に叩き込むという方法は嫌いです…
反対に「わからないまま放っておく」と同じ語、同じ文法用法に
何度かぶつかったあとで、いつかポンとわかって、
その理解はずーっと消えないと思われます。
>いつかポンという時、というのは来ない可能性もあります。
永遠にわからない可能性があります。
*ワンポイントで教えてくれる学習本や講座はあらゆるところに溢れています。
でんぱ組さんがもしそういう学習本や講座を経験しているとしたら、
そういうワンポイント教授の「はかなさ」をご存じかもしれません。
>私は、ORTのこの部分、ここの文はどういう意味ですか?と聞きたい、という感じなので、それが文法書でわかる場合もありますが、わからない場合もあります。また、ここを教えて欲しいのです、と言って、教えてくれるような場所には出会ったことがないし、そういう教室なども知りません。
いろいろと生意気なことを言いましたが、最初から私は「多読」の「やさしいものをたくさん」はしたかったのですが、「辞書を引かない」「読み飛ばす」点は抵抗がありました。
ですが、他の読書管理サイトなどでも、いろんな人が頑張って多読をしている様子を知れたり、人が読んだ本を知ることもできて、それで世界が広がる感じが楽しかったので、こちらにもお邪魔するようになりました。
が、もともとの(多読の)原理原則の部分をあいまいに、いい加減にしたまま(完璧主義とかと言っていましたが(;^_^A))、納得もせずにこちらに来てしまったがよくなかったのかもしれませんね (o*。_。)oペコッ
我々の考えに賛同できないものは来なくてよろしい、と言われてもしかたないのに、ここまでていねいにお付き合いくださってありがとうございます(o*。_。)oペコッ