さかい先生、こんばんは!
自分で言うと角が立つから僕に言わせようとしていますね!
まったく!(笑)
tadokuを始めたころに思い描いていた「英語ができる」状態は、「ツール」としての英語を手に入れた状態、
でもそのツールは雑には扱えない、なかなかの精密機械。慎重に、完璧に組み立てて、はじめて使用可能になる。そこで初めて意味を成す。
今思っている「英語が出来る」状態は、、、
「(どんなにしょぼくても)ツール」くらいその辺ですぐ手に入る。
子供の頃のように、道端に落ちていた「いい形」の小枝を拾って、杖にしたり、剣にしたり、穴に突っ込んだり、
訳も分らずあれこれいじり倒して遊んでいる(男子ならこの感じわかりますよね?、笑)。
その時間がどうしようもなく楽しい。道端で拾った小枝からでさえも、世界を構築できる想像力を備えている、そういう状態です。
あ?色々言いたくなってしまいました。。。
英語という「ツール」を手に入れれば、その先には広い世界がひろがっている。。。
こういう言い方が好きじゃありません。(※先生が言っている訳じゃないです。)言わんとしていることは分ります。たぶん僕も同じことを感じています。
でも、言い方が好きじゃない。学校でさんざん言われてきたからです。
今たくさん勉強して少しでも学力を上げておけば、君たちの選択肢は広がる。。。
何かやりたいことが見つかった時に、選択肢がたくさんあるほうがいい。。。(ま、実際それはそうなんだけど。。。)
僕には同じことを言ってるように聞こえます。さも将来に夢とかやりたいこととか見つかるような素振りで、(でもそれは自分で探すんだよ、みたいな無責任な注釈つきで!)
それを手にする為に今頑張る価値があるんだよ、って。。。
僕の学生生活は将来の夢を手に入れるための「ツール」じゃありません。それ自体、眩しいほどに輝きを放っている(いた)ものです。
あ?もうひとつ、、、
大学に入った時に、はじめて数学の本を読みました。参考書とか専門書じゃなくて、簡単な一般書です。
その本の中で、数学者が数式のことを「美しい」と形容していました。僕は驚きました。数式のことを「美しい」と形容する、そういう世界があるとは知らなかったのです!
例えば、学校では虚数の定義は教わったけど、虚数がどうやって生まれたのか、当時どんなふうに考えられていたのか、虚数を使えばどれだけ「美しく」世界を表現できるのか、
そういう話は一切なかった。ただただ記号を覚えてその扱い方をトレーニングさせられただけで、その奥に広がる神秘的で「美しい」世界のことには一切触れてもらえませんでした。
ぜーんぶ同じことでしょう??
今、楽しくなければ、今、世界が広がらなければ(広げてもらえなければ!)、未来もへったくれもないと思うんです。
童心に返って、小枝で遊んでみましょう、小枝とは、今あなたが手にしているへなちょこ英語のことですよ、
ツールなんて呼ばせてはいけません、それ自体、大変な広がりを持った宝物ですよ、それであなたはどんな世界を創造できますか?
ということです。
調子に乗って毒づいてしまいました。でもすっきり。。。
一年前の僕に教えてあげたい。。。